ドイツ語を学ぶ10の理由

もっともっと学びたいと思って法学部を訪れる知識欲旺盛なあなたなら,最後まで読むとドイツ語を学びたくなるはずです。ぜひ最後まで!

1.明治近代化以来の学問の基礎

日本は明治の開国と同時に,ヨーロッパの文化文明を可能な限り採り入れてきました。近代化の扉を開く鍵となったのが英語,ドイツ語,フランス語でした。

1970年代くらいまで,日本の医師がカルテ(これもドイツ語!)をドイツ語で書くのはふつうのことでした。法律学でも,民法はドイツ民法典の構成を踏襲して起草されましたし,刑法はドイツ刑法の理論的影響を大きく受けました。両方ともドイツとフランスの法制度を模範にしています。そして第2次大戦後はアメリカ法の影響下にありました。したがって明治以降の学問を私たちがきちんと学ぶためには,英独仏の3言語が必要十分条件なのです。また政治学では,ヨーロッパの学問的蓄積を研究したり,ヨーロッパという地域を研究対象とするならやはり英独仏が不可欠です。

2.ヨーロッパの動向を一足先に知る

1950年代から統合へと歩を進めてきたヨーロッパは,欧州連合(EU)という壮大な実験の真っ只中にあります。EU はまだ盤石とはいえず,ギリシャの経済危機やシリアからの難民問題,離脱した英国との関係,またロシアによるウクラウイナ侵攻などの外的問題もあり,さまざまな問題に直面しています。

そうした時に,常に欧州の中心的な存在として大きな役割を演じているのがドイツです。欧州統合の初期にはフランスが表看板となり,西ドイツは経済的な機関車として裏方を演じていましたが,1990年の東西統一後のドイツは欧州の盟主となった感があります。

そうしたドイツの動向がヨーロッパの今後を決めるといってもよいでしょう。ドイツの有権者はどう考えているのか。ドイツの動きを読めばヨーロッパの動きがわかる。そのためには英語だけでは不十分で,直接ドイツ語のニュースソースにアクセスする必要があります。

3.過去との取り組み

1933年から45年まで続いたナチス時代,ホロコーストにより600万人のユダヤ人が殺害されました。戦後の西ドイツは,この厳然たる事実から出発して新しい国を興し,ヨーロッパの隣国との間で和解を進める以外に道はありませんでした。現在,ドイツ国外でも特定民族に対する差別や迫害などがあると,それに対してドイツが敏感に反応するのは,そうした歴史を背負っているからに他なりません。フランスやポーランドと共通歴史教科書を制作するなど,いまだに歴史観の調整に苦慮し続ける日本とアジア諸国との関係を考えるために,ヨーロッパの経験は参考にすべき部分が少なくないのです。

ヒトラー率いるナチスを産んだのは,実はドイツ人の熱狂的な支持でした。その反省から,西ドイツの,そして統一後のドイツの憲法である「基本法」には,熱狂しやすい大衆を全面的に信用せず,ナチスの再来を防ぐさまざまな安全装置が内蔵されています。自由権的基本権を重視する基本法の下,それに並行して,民主主義を擁護するための批判力を持った有権者を育む「政治教育(有権者教育)」が学校の内外で行われています。本来,未完の理念であるはずの憲法を,うつろいやすい現実に合わせようとしている日本の憲法論議を考えるためにも,ドイツの経験を学ぶことは有効です。

4.文化の蓄積の素晴らしさ

先進国といわれるヨーロッパの国々の文化的蓄積にはまことに目を見張るものがあります。ドイツも例外ではありません。

ゲーテ,シラー,カフカ,トーマス・マンらの文学作品は全世界で愛読され,最近ならシュリンクやイェリネク,ミュラーらの問題作が話題になっています。バッハやモーツァルトやベートーヴェン,シューベルト,シューマン, ブラームス,ワーグナー等々のドイツ系クラシック音楽の作品なしには,世界中の演奏会やオペラハウスのプログラムは成り立たないでしょう。カント,ヘーゲル,マルクス,ヴェーバーなどの著作は,今でも人文・社会科学の古典的文献です。建築でいえば,神との合一を求めて天にも届けとばかりの高い塔を持つ,ゴシック様式の教会はドイツで特に好まれ,今でも多くの町のランドマークです。そうしたカトリックに対する宗教改革も,ルターによってドイツで起こりました。これが現代ドイツの「抗議の文化」に至る出発点であったともいえます。

これらはドイツ語圏のいわば「ソフトパワー」ですが,もしもこれらがなかったら,世界の文化はどれだけ貧しいものになっていたことでしょうか。

大学生の知的作業に不可欠な教養の宝庫であり,こうした尊い文化遺産に少しでも多く触れることは人生を豊かにしてくれます。

5.言語の強さは,話者数だけでなく経済力で決まる

ドイツ語の母語話者数は,日本語より少なく,1億人を少し上回るくらいといわれます。しかし日本語がほぼ日本国内のみで使われるのに対し,ドイツ語はヨーロッパの中でも通用範囲が比較的広く,外国語としてドイツ語を学んでいる人も多いので,ヨーロッパ内部では英語に次いでよく通じます。

しかし,ある言語の話者の数はただ多ければいいというわけではなく,その言語の話者がどのくらいの経済力を持っていて,他の地域とどれほど密なコンタクトを持っているか,そこの人々にどれほど強い影響を与えたりしているかが重要です。もちろん,言語そのものに価値の優劣はありませんが,その言語の話者の持つ経済力には差があります。その点では日本語,ドイツ語の「言語経済力」は世界で今も高いので,これらの言語を使えることの価値はとても大きいのです。比較的購買力が高く,旅行好きのドイツ人や日本人をターゲットにすれば,ドイツ語や日本語の需要が高いのも当然というわけです。

6.インターネット上の言語

インターネットは,アメリカで開発された情報ネットワークを冷戦終結後に一般に開放した技術です。なので,どうしても英語優位の世界です。しかし今では使用する文字の制約から解放されたので,アルファベット系言語の文字はもちろん,日本語やアラビア語なども問題なく使えるようになりました。言語的な平等性がインターネットの世界で進んだと言えます。

そうした中で,ドイツ語で書かれたサイトはフランス語と並んで英語に次いで多く,また内容的にも重要で有益な情報が多く存在します。ドイツ語ができると,日本語のサイトでは得られない多くの情報にアクセスすることができるのです。

7.英語とは兄弟,でもちょっと違う言語構造

ドイツ語はインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派の1つで英語やオランダ語とは兄弟姉妹,イタリック語派のフランス語やイタリア語などとは従兄弟姉妹といったところでしょう。そしてインド・ヨーロッパ語でない日本語とは他人の関係です。ところが英語は,ドイツ語と同じゲルマン語でありながら,フランス語から海を越えての影響を強く受けてきたために,語彙はフランス語由来のものが多く,ドイツ語とは異なるものも少なくありません。また文法的に見ても,動詞や形容詞の語尾が摩滅してしまうなど,元々の英語が持っていたしくみがずいぶん変わってしまいました。理詰めで考えると,例外ばかりが目につきます。

英語を学んで,何だかしっくり来ないと思う人は少なくないようです。日本語とは非常に構造が異なる言語だから当然です。ところがドイツ語のしくみは,すんなり頭に入ってくるという人も少なくありません。英語は,本来は兄弟姉妹の関係にあったドイツ語からずいぶん遠縁になってしまったのです。英語を学んでいて「これは例外だ」とか「変だけどとりあえず覚えてしまえ」とか「文法はどうでもいいから話す練習を」とか,そういう授業で悩んできた人は,ぜひドイツ語を学んで下さい。疑問が氷解し,文法の存在意義がはっきりわかり,気持ちがスッキリすること請け合いです。英語と比べて,意外に日本語の発想に近いところも多々ありますし,語順などは英語より日本語にそっくりです。そしてドイツ語学習の何よりの副産物として,むしろ英語がよくわかるようになるというおまけ付きです。

ドイツ語にはヨーロッパの言語に典型的な文法のしくみがひととおり揃っています。だから,まずドイツ語を学んでおけば,その後でフランス語やイタリア語やロシア語やチェコ語などを学ぶにも,それほど苦労しないで済むのです。

8.ドイツ人はカタイ? 日本人との生活文化の差

ドイツ人は「カタイ」というイメージを持つ人が多いかもしれません。たしかにそうでしょう。イタリア人男性のように女性と見れば口説いてみたりということは,ドイツ人には真似できません。適当に楽しくやって,人生を謳歌するという南欧的なメンタリティは,アルプス以北のドイツ人のメンタリティとは,やはり違います。だから同様に「カタイ」 日本人とは共通点があるのでしょう。日本人は「極東のプロイセン人」などと呼ばれたこともありました。

根底ではおカタイ日本人とおカタイドイツ人なのですが,どうも日本人の方がはるかに杓子定規で,クソ真面目で,指示に従順で,いつも額に青筋を立てて,せかせかしているところがあるようです。ドイツ人もたしかに真面目ですが,日本人よりはもっと柔軟です。効率よく短時間で仕事を片付けるとか,銀行員,郵便局員,デパートの店員,バスの運転手など,私服で仕事をする職場が日本より多いとか,日曜は商店は必ず休業するとか,プライベートな時間を大事にして静かな週末生活を楽しんでいるとか,学生でも給費の奨学金をもらって夫婦で子育てをしているとか,職種や企業規模を問わず1ヶ月休むためにこそ11ヶ月働いているとか,日常生活のあり方や社会のしくみにおいて,日本には見られない「ゆとり」「心の豊かさ」があるのです。

どうしてそうなのでしょう。どうして日本人は,こんなにあくせく働いているのに心が豊かにならないのか,どうしてドイツ人はこんなにゆとりがあるのか? ぜひともドイツ語を学んでドイツ人の知人・友人をつくり,そのわけを尋ねてみましょう。

9.世界への扉を開くドイツ語

ドイツ語はドイツ人やオーストリア人と話をするために学ぶもの,と思う人が多いかもしれません。しかし,ドイツ語を学ぶことはそれに留まりません。たとえばドイツでドイツ語を学べるゲーテ・インスティトゥートで,夏休みなどに1か月か2ヶ月の講習を受けてみてはどうでしょう。全世界からやって来た人たちと同じ教室で知り合い,もしかしたら生涯の友だちができるかもしれません。

ドイツの音楽や映画や文学で共通の趣味が見つかれば,楽しい話は尽きません。中国や韓国の学生たちとも,お互いが等距離で学んでいるドイツ語でなら,本音の議論ができます。難民としてドイツに逃れてきたアフリカや中東の同級生から,自国での壮絶な体験を聞くこともあるでしょう。そうしたお喋りや議論を通して,世界中の人を知り,お互い理解し合い,その人の国にも思いを馳せることができます。友達のいる国と戦争をしたいと思う人がいるでしょうか。直接人を知ることこそが,平和を構築することにつながります。

あなた自身も,自分のこと,日本のことをもっと知ってもらえるようにと,一所懸命話そうとするでしょう。いつしかドイツ語が格段に上達し,世界に開かれた視野を持つ自分に気づくはずです。

10.ドイツ,ヨーロッパの問題から日本の問題を考える

「遅れてきた帝国主義」「第2次大戦の開戦と敗戦」「戦後の経済復興」「歴史認識」など,良くも悪くも日本はドイツといろいろ比較されて論じられてきました。ヨーロッパ大陸の中央にあるドイツと,島国である日本は,地政学的に異なる条件のもとにあり,似て非なるものであるにもかかわらず,日本からすればドイツの戦後は,常に比較の対象でした。

ところが最近の日本では,焦りからなのか,自信のなさの裏返しなのか,「クール ジャパン」「日本すごい!」など,自らの優位性を無理やり身の丈以上に強調しようとする傾向が目立ち,逆に,もうドイツに学ぶ必要などないとして,ドイツを煙たがる「煙独」という風潮も見られます。

もちろんドイツに学べば全てが解決するものではなく,ドイツがベストのお手本であるわけでもありません。しかしながら,アメリカだけを見てそれを模範としてきた日本は,その他の選択肢を持てず,ここへ来て貧困率も劇的に高まって,深刻な格差社会となってしまいました。民主主義や人権の問題を考えるにしても,アメリカだけを参考にしていては,世界の流れを読み誤るでしょう。日本に欠けたものを求めようとするとき,そのために参考になるはずなのはヨーロッパですが,その事情を知る人があまりに少なすぎるのです。

日本ではよく「欧米」と一括りにされますが,ヨーロッパとアメリカは全く違います。一例を挙げて大ざっぱに言えば,日本版もあるフランスのグルメガイドブック「ミシュラン」と,かつてはガイドブック,現在はサイトに絞ったアメリカの「ザガット」の違いです。舌の肥えた少数のお忍びの専門調査員だけが店を評価した結果を載せる「質」によるヨーロッパの「ミシュラン」と,多数のごくふつうの一般客の投票が店の評価を決める「数」によるアメリカの「ザガット」。店を選ぶのに,あなただったらどちらを信頼しますか? これはそのガイドブックの優劣というより,もはや思想や哲学の問題です。

日本はヨーロッパにもっと関心を持って,アメリカという色メガネを通して見た世界像を補正することが大切なのではないでしょうか。そのために,ヨーロッパの中央に位置して欧州最多の9ヶ国と国境を接し,政治経済的にも中心的な役割を担うドイツを学ぶことには大いに意味があるのです。

日本でドイツ語を学ぶことに現在でも大きな意味があることが,これでわかって頂けたでしょうか?

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